説教要旨


「説教要旨」          
2018年2月4日
 マルコによる福音書2章1~12節

「執り成しの祈りをしているか」 友川 栄
  
マルコ福音書2章1節以下の記事はイエス・キリストを信じる者の姿勢が記されていると受け止めたい。マタイ(9章1~8節)、ルカ福音書(5章17~26節)にも並行記事があるが多少の違いがある。マルコ福音書は場所を「カぺナウム」と限定する。ある学者はシモン・ペテロとアンデレの家で起こった出来事と推測する。更に、ペテロが福音を宣べる度に、この出来事を語ったと述べる。ペテロは心躍るように、この出来事を伝えたのではないだろうか。
   
イエス・キリストがカぺナウムの家にいるといううわさが立った時、四人の男が中風の人を担架に乗せてイエス・キリストのみもとに連れてくる。この四人は誰なのかは一切分からない。友人なのか、家族の者なのだろうか。確かなことは、彼らが中風の人をイエス・キリストのもとに連れて行ったことだ。イエス・キリストなら必ず癒してくれると信じていたからではないか。否、彼らは中風の人の痛みを見聞きしながら他人事としなかった。自分の痛みとして受け止めた。四人の男は素晴らしい信仰告白をしたのではない。人々から称賛される偉業を行ったのでもない。この四人の男こそキリスト者ではないか。初代教会を支えたのは、このような人々ではないか。
   
彼らが中風の人をイエス・キリストのもとへ連れて行くと、多くの人々で家に入    れない。だが、彼らは諦めずに屋根に上り「屋根をはぎ、穴をあけて、中風の者    を  寝かせたまま、床をつりおろした。」(4節)何と乱暴なことと思わなか。   簡素に作られていた屋根とはいえ、他人の家に損害を与えたことは事実なのだ。弁償を求められても仕方がない。だが、イエス・キリストの受け止め方は意表をつく。「イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に「子よ、あなたの罪はゆるされた(原意は「あなたのもろもろの罪は今ゆるされる(現在形)」と言われた)(5節)。中風の人の信仰ではない。四人の人の信仰を見て(エ・ラゲ訳:観て)、罪を赦しの宣言をする。私たちはこの四人のように、苦悩にある人々を覚えて祈っているだろうか。そのような人々を覚えて執り成しの祈りをしていきたい。